2013年4月、川商会長、関西ミャンマー経済交流センター理事長川畑俊彦氏から、ミャンマーに行ってみないかと言う誘いを受け、行ったのが私とミャンマーとの出会いでした。ミャンマーの旧首都ヤンゴンが意外に発展しているのに驚きました。

一緒に同行した皆様は、企業家の方々で、経済特区にある工場見学やミャンマー人実業家との交流をし、ビジネスの話をしていました。

 

ミャンマーに行く前に、東京医科歯科大学の友人からヤンゴン歯科大学学長のテンチュウ先生を紹介され、ミャンマー滞在中に大学を見学させていただく約束をさせていただきました。しかし私がミャンマー滞在中、先生は日本にいたために見学はできませんでした。歯科医師の私は、サクラタワーで開業しているトントン先生に電話をかけ見学させていただくことにしました。トントン先生は東京医科歯科大学で5年間学ばれ日本語は堪能です。

 

トントン先生が、6月に日本にいらした際に2人の歯科医師とともに私の診療室にも見学に来られ、昼食を御一緒させていただきました。その際、8月にバガンと言う寺町にあるお寺に寄付しに行くので一緒に行かないかと誘われ、2度目のミャンマー旅行が実現しました。

バカンは、ヤンゴン市内とは裏腹に、地方は小学生が小学校を中退して仕事をしている現実がありました。何とかしなければならないと思いましたが、私の力ではどうすることもできませんでした。

ヤンゴン滞在中ヤンゴン歯科大学学長のテンチュウ先生がホテルまで迎えにいらしてくださり、ヤンゴン歯科大学を見学することができました。夜は教授陣数名とホテル内のレストランでシンガポール料理を御馳走していただきました。学長の月給が200ドルです。精いっぱいもてなしてくれたのがわかりました。

 

ヤンゴン歯科大学のテンチュウ先生を紹介してくれた歯科医師の伊藤祐嗣先生から、ヤンゴンの貧しい家庭の子弟が行く小学校の教員の給料1年分600ドルを負担してくれないかと言う依頼が、ミャンマー人医師ニーニー先生から伊藤先生の所に来ていることを聞き、2014年1月、ミャンマーに行った際に600ドルを寄付してきました。月給50ドルです。ロータリークラブから依頼された物資も運びました。この時ヤンゴン歯科大学テンチュウ先生に夕食会に招待され、ニーニー先生から中学校を作りたいとの計画を聞きました。いくらかかるか尋ねると16000ドル(日本円で160万円前後)ほどでした。何とかしてみようと思いました。

 

3月、再度、川畑俊彦会長、私の友人のチームスプリント銀メダリストの長塚智弘さんの3名でヤンゴン在住の元国連職員岩崎亨氏を訪問し、作家寺井融氏と現地で合流し、新ヤンゴン病院を見学してきました。

 

川畑俊彦氏が私の診療室の近くで高齢者サービス付き住宅をオープンし、歯科往診事業をお手伝いさせていただくことになることになり、歯科往診事業からの収益の10%と残金を運用し(Jリートの分配金と株の配当金)、全てをミャンマーの教員の支援に充てようと思っていました。最初は自分だけで、活動をおこなっていく予定でした。